
なぜ我々は「童磨」という“虚無”に惹かれるのか?鬼滅の刃が描いた最も純粋な悪の正体
鬼滅の刃 
                『鬼滅の刃』には数多くの魅力的な鬼が登場します。
悲しい過去を持つ者、己の信念を貫く者、強さだけを求める者。
彼らは皆、元は人間であり、その歪みにはどこか共感の余地がありました。
しかし、その中に一人、全く異質な存在がいます。
上弦の弐、童磨。
柔らかな物腰、常に絶やさぬ笑み、虹色の美しい瞳。
しかし、その内面は完全な「無」。
今回は、多くの読者に強烈な印象と、ある種の魅力を感じさせたこの男、
童磨というキャラクターの正体に迫ってみたいと思います。
彼がなぜこれほどまでに恐ろしく、そして同時に我々の心を惹きつけるのか。
その理由を、俺と一緒に解き明かしていきましょう。
「感情がない」ことの本当の恐怖
童磨を語る上で、避けては通れないのが彼の根本的な異常性、
すなわち「感情の欠落」です。
彼は生まれつき、喜怒哀楽といった人間らしい感情を一切持ち合わせていませんでした。
これは、他の鬼たちとは一線を画す決定的な違いです。
例えば、猗窩座は人間時代の愛と喪失の記憶に縛られ、
黒死牟は弟への嫉妬という強烈な執着から鬼となりました。
彼らの行動には、歪んでいるとはいえ「動機」が存在します。
しかし、童磨にはそれがない。
人間時代から、彼は「万世極楽教」の教祖として祭り上げられ、
信者たちの悩みを聞き、涙を流し、救いの言葉を与えていました。
しかし、それはすべて、持ち前の知性で「人間らしさ」を模倣しただけの演技。
「地獄や極楽は人間の妄想」
「人間は死んだら無になるだけ」
内心ではそう嘯きながら、完璧な「優しい教祖さま」を演じきっていたのです。
この「悪意なき残虐性」こそが、童磨の最も恐ろしい点ではないでしょうか。
彼は相手を傷つけようと思って傷つけるのではありません。
猗窩座を「親友」と呼び、馴れ馴れしく絡んでは頭を吹き飛ばされるのも、
彼にとっては、人間の子供が虫の羽をむしるような、
純粋な好奇心とじゃれ合いの延長線上に過ぎないのです。
だからこそ、彼の言葉は的確に相手の心を抉ります。
感情がないから、相手の感情の機微がわからない。
それゆえに、言ってはいけないことを平然と、しかも善意の仮面を被って口にする。
これほどタチの悪い存在もそうそういないでしょう。
最強クラスの能力と、その“無頓着さ”が生む底知れなさ
鬼殺隊絶対殺すマンな血鬼術
彼の戦闘能力は、作中でも屈指のチート級と言って差し支えありません。
血鬼術は、自身の血から生み出す「冷気」。
この冷気を吸い込むと肺が壊死するという、とんでもない追加効果があります。
つまり、鬼殺隊の力の源である「全集中の呼吸」を根本から封じてくるのです。
まさに鬼殺隊にとって最悪の天敵。
さらに厄介なのが、技の多彩さと応用力です。
- 広範囲を凍結させる「蓮葉氷」
- 回避困難な氷の礫を無数に放つ「散り蓮華」
- そして、極めつけは自分と全く同じ血鬼術を使う氷人形を作り出す「結晶ノ御子」
この「結晶ノ御子」、控えめに言ってもゲームバランスを崩壊させるレベルの技です。
本体と同等の力を持つ分身を、デメリットなしで複数体も生み出せる。
彼がもし本気でこの技を使っていたら、無限城の戦いはもっと早く、
そして絶望的な形で決着がついていたかもしれません。
強さへの執着のなさ
しかし、彼はそうしなかった。
ここに童磨の異常性が再び顔を出します。
彼は自身の圧倒的な強さに、何の執着も持っていないのです。
戦闘ですら、彼にとっては人間観察の延長、あるいは娯楽の一つ。
相手の技をじっくり観察し、心理戦を仕掛けて精神的に追い詰めることを楽しみ、
飽きたら殺す。そのスタンスは一貫しています。
無惨様からも「強い執着や渇望の無い者は鬼として進化しない」と評され、
あまり好かれていなかったようですが、それも当然でしょう。
強さへの渇望がないのに、才能だけで上弦の弐にまで上り詰めてしまった。
このアンバランスさが、童磨の得体の知れなさを一層際立たせているのです。
「救済」という名の、最も残酷な自己満足
童磨の行動原理は、一貫して「愚かな人間を救済する」ことです。
信者たちを喰らうのも、彼にとっては救いの一環。
「俺が喰った人は皆そうだよ、救われてる。もう苦しくない、辛くもない。俺の体の一部になれて幸せだよ」
このセリフに、彼の歪んだ価値観が凝縮されています。
彼は本気で、それが善行だと信じている。
しかし、そこには救われる側の感情が完全に抜け落ちています。
伊之助の母・琴葉とのエピソードは、その象徴でしょう。
彼は琴葉を気に入り、「寿命が尽きるまで手元に置くだけで殺すつもりはなかった」と語ります。
おそらく、それは本心だったはずです。
しかし、自分が人喰い鬼であることを知られると、あっさりと彼女を殺害する。
彼の中では、自分の都合が「救済」の教義を簡単に上書きしてしまうのです。
この男にとって、他者は自分の「救済ごっこ」を満たすための道具でしかありません。
だからこそ、栗花落カナヲが放った一言は、彼の核心を貫きました。
「貴方、何のために生まれてきたの?」
今まで誰も指摘しなかった、彼の存在そのものの「空虚さ」。
これには流石の童磨も、いつもの薄ら笑いを消し、無表情な素顔を晒すことになりました。
最期の「恋」は救いだったのか、それとも…
そんな虚無の塊だった童磨が、最期にたどり着いた感情。
それは、皮肉にも自分を殺した相手、胡蝶しのぶへの「恋」でした。
しのぶの命を懸けた壮絶な罠により、体が内側から崩壊していく中、
彼は死の恐怖すら感じませんでした。
しかし、消えゆく意識の中で再会したしのぶの姿に、
彼は生まれて初めて、心臓が脈打つような感覚を覚えます。
「これが“恋”というやつかなぁ」
顔を赤らめ、童のように無邪気に笑うその姿は、
彼がようやく「人間」になれた瞬間だったのかもしれません。
そして、彼はしのぶを地獄への道連れに誘います。
「俺と一緒に地獄へ行かない?」
このセリフ、皆さんはどう感じましたか?
俺は、これ以上ないほど童磨らしい、最後の最後まで自分本位な口説き文句だと思いました。
それに対する、しのぶの返答がまた見事。
「とっととくたばれ糞野郎」
これです。これしかない。
彼女の怒りと憎しみ、そして姉や仲間たちの想いが詰まった、最高の拒絶。
この一言が、童磨の初恋物語を完璧な形で完結させました。
結局、彼の恋は決して報われることなく、彼は独り地獄へ堕ちた。
彼にとって、この結末は幸福だったのでしょうか。
それとも、感情を知ってしまったが故の、最大の罰だったのでしょうか。
答えは、おそらく誰にもわかりません。
ただ一つ言えるのは、感情を持たなかった男が、
他者への強烈な感情によって殺され、最期に感情に目覚めて消えていくという、
あまりにも皮肉で、美しい幕引きだったということです。
童磨は、単なるサイコパスな悪役ではありません。
彼は「心とは何か」「人間とは何か」という根源的な問いを、
我々に突きつけてくる鏡のような存在だったのではないでしょうか。
彼のあの美しい虹色の瞳には、果たしてどんな世界が映っていたのか。
それを想像すると、今でも少しだけ、背筋が凍るような気がするのです。
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