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【呪術廻戦】両面宿儺という、ただの「悪」で終わらない“呪いの王”の深層心理

呪術廻戦
【呪術廻戦】両面宿儺という、ただの「悪」で終わらない“呪いの王”の深層心理

『呪術廻戦』という作品を語る上で、絶対に外せない存在。それが両面宿儺です。

史上最強最悪の呪いの王。主人公・虎杖悠仁の肉体に受肉し、物語のラスボスとして君臨する絶対的な強者。

その残虐非道な振る舞いは、まさに「悪のカリスマ」。

俺も最初は「また典型的な最強悪役か」なんて、少し斜に構えて見ていたクチなんですけどね。

でも、物語を読み進めるうちに、どうにもこの男から目が離せなくなる。

それは、彼が単なる「倒されるべき悪」という記号に収まらない、底知れない魅力を持っているからではないでしょうか。

今回は、この呪いの王・両面宿儺が、なぜこれほどまでに我々の心を掴んで離さないのか、その魅力の正体を分析していこうと思います。

絶対的強者の美学――「誇れ、お前は強い」に痺れる

宿儺の魅力の根幹にあるのは、やはりその圧倒的な「強さ」です。

作中では、指が揃っていない不完全な状態ですら、特級呪霊を子供扱いするほどの力を見せつけます。

しかし、彼の強さは単なる戦闘能力の高さだけではありません。

そこには、一貫した「哲学」と「美学」が存在します。

渋谷事変での漏瑚との戦いは、その象徴と言えるでしょう。

格下の漏瑚を弄ぶように戦いながらも、その死に際にはこう言葉をかけます。

「誇れ、お前は強い」

これ、痺れますよね。弱者には一切の情けをかけない宿儺が、己の全力に挑んできた強者に対しては、最大級の敬意を払う。

彼の行動基準は、善悪ではなく「己の快・不快」のみ。

その指針が一切ブレないからこそ、彼の言動には奇妙な説得力が生まれるのです。

「天上天下唯我独尊」という言葉が、これほど似合うキャラクターもそうはいないでしょう。

その揺るぎない絶対的な存在感こそが、我々がまず最初に宿儺に惹かれるポイントなのだと思います。

垣間見える「人間臭さ」と謎に満ちた過去

しかし、宿儺がただの「強い悪役」で終わらないのは、その傲岸不遜な態度の裏に、時折「人間臭さ」が顔を出すからです。

虎杖の体で千年ぶりに現代に顕現した彼は、意外なほど俗世に興味を示します。

特にアニメ版で追加された、魔虚羅との戦闘中に映画館でポップコーンとコーラを手にするシーンは、多くの視聴者の度肝を抜きました。

(まあ、すぐに「不味い」と吐き捨ててましたが…)

この行動は、彼が虎杖を通じて現代の文化に触れ、興味を持った結果と考えるのが自然でしょう。

千年もの間、暇を持て余した「暇つぶしの達人」だからこそ、新たな刺激には敏感なのかもしれません。

そして、彼のキャラクターに深みを与えているのが、断片的に語られるその過去です。

彼は生まれながらの祝福された強者ではなく、むしろ「忌み子」として虐げられ、「飢えていた」存在だったことが示唆されています。

作者も「人間だった頃の記憶はまんまあります。宿儺自身や彼の周りが彼を“人間”と認識していたかは微妙ですが」と語っており、その出自が一筋縄ではいかないことを匂わせています。

この壮絶な生い立ちが、彼の「己の快・不快のみを信じる」という哲学を形成したのではないでしょうか。

誰にも頼らず、ただ己の力だけで生き抜いてきた。そう考えると、彼の残虐性もまた、生きるための術だったのかもしれません。

術式の正体は「料理」? ネットを震撼させた考察

宿儺の謎を語る上で外せないのが、彼の術式に関する考察です。

彼の使う術式「御廚子(みづし)」は、斬撃を飛ばすシンプルなものに見えます。

しかし、ネットの海を彷徨っていると、非常に興味深い説が囁かれています。それは、宿儺の術式の本質は「料理」なのではないか、というものです。

まず、「御廚子」という言葉自体が「台所」を意味します。

そして、領域展開「伏魔御廚子」の海外版での英訳は「Malevolent Kitchen」――すなわち「悪意ある厨房」。

これはもう、公式からの特大ヒントと言っても過言ではないでしょう。

さらに、彼の使う技には「解(カイ)」「捌(ハチ)」といった、魚を解体するような言葉が使われています。

そして、炎を扱う技の名は「竈(カミノ)」。

…ここまで揃うと、もう偶然とは思えませんよね。

全ては「飢え」から始まったのか

さて、ここからは少しゲスい話になりますが、この「料理」説を裏付ける、あまりにもショッキングな事実が後に明かされます。

それは、宿儺が胎児の頃、飢えのあまり双子の片割れを喰らったという過去です。

この壮絶な原体験が、彼の術式に「食」という概念を刻み込んだのではないか。

彼の強さの根源には、最も根源的な欲求である「飢え」と、それを満たすために他者を喰らった「罪」が存在するのかもしれません。

そう考えると、彼の「食べること」への興味や、人間を食らうという行為も、単なる残虐性だけでは説明できない、彼の根源に深く関わるテーマとして浮かび上がってきます。

作者、この設定エグすぎません…? でも、だからこそ宿儺というキャラクターは、ただの悪役では終わらない深淵を覗かせてくれるのです。

虎杖悠仁との奇妙な共犯関係

最後に、宿儺の魅力を語る上で欠かせないのが、器である虎杖悠仁との関係です。

当初、宿儺は虎杖を自分を閉じ込める「檻」として疎み、ことあるごとに嘲笑い、精神的に追い詰めようとします。

しかし、物語が進むにつれて、その関係性には微妙な変化が生まれます。

何度叩き折られても立ち上がり、己の理想を貫こうとする虎杖の姿に、宿儺は苛立ちながらも、その存在を認めざるを得なくなっていくのです。

そして、公式から投下された衝撃の事実。宿儺が喰らった双子の片割れの魂は巡り、虎杖の祖父・倭助として転生していた。

つまり、宿儺と虎杖は血の繋がりこそないものの、魂的には大叔父と又甥という、とんでもなく近い関係だったわけです。

この設定には、多くのファンが度肝を抜かれ、pixivなどでは公式とは真逆のハートフル(?)な二次創作が盛り上がりました。

作者曰く、この二人の関係は『NARUTO』のナルトと九喇嘛をモデルにしつつも、「絶対に相容れない関係」として描いているとのこと。

馴れ合わない。理解し合わない。それでも、一つの肉体を共有したことで、互いの魂に消えない影響を刻み付けてしまった。

このどうしようもなく拗れた、しかし切っても切れない関係性こそが、物語に緊張感と深みを与えているのです。

我々はなぜ「呪いの王」に魅了されるのか

絶対的な強さと、その裏に隠された悲壮な過去。

一貫した悪の美学と、時折見せる人間臭さ。

そして、主人公との決して交わることのない奇妙な共存関係。

両面宿儺の魅力は、こうした多層的な要素が複雑に絡み合うことで生まれています。

彼は単なる破壊者ではなく、彼自身のルールと哲学で生きる、孤独な王なのです。

だからこそ我々は、その圧倒的な存在感に恐怖しながらも、どこかで魅了されてしまうのではないでしょうか。

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