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『五条悟』は本当に“最強”だったのか?――現代の神が背負った孤独と、たった一つの人間らしさ

呪術廻戦
『五条悟』は本当に“最強”だったのか?――現代の神が背負った孤独と、たった一つの人間らしさ

『呪術廻戦』という作品を語る上で、絶対に避けては通れない存在。それが五条悟です。

白髪碧眼、190cm超の長身にアイマスクという異様な出で立ち。

そして、自他ともに認める「現代最強の呪術師」という肩書き。

あまりの規格外な強さに、「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」と言われるほど。

俺も連載当初はそう思っていました。この男がいれば、どんな絶望的な状況もひっくり返せる、と。

ですが、物語を読み進めるほどに、その単純な「最強」という言葉だけでは、五条悟という男の本質は捉えきれないことに気づかされます。

今回は、この「五条悟」というキャラクターがなぜこれほどまでに我々を惹きつけるのか、その魅力の核心に迫ってみたいと思います。


世界のバグ、それが「五条悟」

まず、彼の「強さ」がいかに異常かを再確認しておきましょう。

五条悟の強さは、単なる戦闘能力の高さではありません。

彼がこの世に生を受けた瞬間、世界のパワーバランスそのものが変わった、とまで言われています。

呪霊が力を増し、呪詛師は活動を控える。一個人の誕生が、世界の理に影響を及ぼす。

もはやキャラクターというより、物語の世界に突如現れた「バグ」や「デウス・エクス・マキナ」に近い存在です。

その力の源泉は、五条家相伝の「無下限呪術」と、特異体質である「六眼」の組み合わせ。

この二つが揃って生まれたのは、数百年ぶりの奇跡。

「無下限呪術」は、自分に近づくものを無限に遅くして触れさせなくする、いわば絶対防御。

「六眼」は、その複雑怪奇な術式を原子レベルで超精密にコントロールするための特殊な眼。

これによって、彼はほぼ呪力消費ゼロで術式をオートマチックに発動し続けるというとんでもない芸当を可能にしています。

理屈はなんとなく分かっても、実際にやられたら「は?チートだろ」としか言えません。

作者の芥見先生も、彼の強さを描く上で相当な苦労があったのではないでしょうか。

事実、物語の序盤で彼を早々に退場(封印)させなければ、話が始まらないほどの存在でしたからね。


「最強」の仮面の下にある、歪な人間性

しかし、五条悟の本当の魅力は、この圧倒的な「最強」という側面だけではありません。

むしろ、その完璧なスペックとは裏腹の、非常に人間臭く、そして歪な内面にこそあると俺は考えています。

クズで、性格が悪くて、でも…

彼は自らを「性格が悪い」と評し、周りからもその言動はたびたび問題視されています。

後輩の七海建人からは「信用しているし信頼している、でも尊敬はしてません」と断言される始末。

作者からも人気投票のコメントで「悪いことは言わない。七海にしとけ」と言われるほど。

この「完璧じゃない」部分こそが、彼を単なる最強キャラから、血の通った一人の人間に引き下げているのです。

飄々として人を食ったような態度を取りながら、その実、腐りきった呪術界の上層部を心の底から嫌悪し、変革を志している。

そのために「教師」という柄にもない役割を選び、虎杖悠仁や伏黒恵といった次代を担う若者たちを導こうとする。

彼の行動原理は、常に未来を見据えたものでした。

それは、彼自身が「最強」であるがゆえに、自分一人では世界を変えられないという限界を誰よりも理解していたからではないでしょうか。

たった一人の親友、夏油傑という「呪い」

五条悟の人間性を語る上で、夏油傑の存在は欠かせません。

学生時代、「俺たち最強」と笑い合った、唯一無二の親友。

当時の五条は今よりもさらに傲慢で、一人称も「俺」でした。

その彼が、夏油との決別後、一人称を「僕」に変える。

これは、夏油がかつて諭した言葉を、彼がいなくなってから実践したということ。

最強の男が、唯一対等だった親友の影を、無意識に追い続けていた証左と言えるでしょう。

そして、渋谷事変。偽夏油の姿を前に、彼の六眼は「本人だ」と告げる。

思考が停止し、脳裏に駆け巡る3年間の青い春。そのわずかな隙が、彼を「獄門疆」へと封じ込める結果となりました。

「大丈夫 僕 最強だから」

このセリフは、彼の自信の表れであると同時に、自分自身に言い聞かせるためのものでもあったのかもしれません。

最強であるがゆえに孤独であり、その孤独を唯一埋めてくれた親友を失った男の、痛々しいまでの強がりにも聞こえてくるのです。


最強の終着点――「南へ」向かうということ

長きにわたる封印から解き放たれた五条悟は、休む間もなく史上最強の術師・両面宿儺との決戦に臨みます。

現代最強 VS 史上最強。誰もが固唾をのんで見守ったこの戦いの結末は、多くの読者に衝撃を与えました。

ここでは詳細な言及は避けますが、彼の最期に描かれた空港でのシーンは、五条悟というキャラクターの集大成だったと言えるでしょう。

夏油や七海といった、先に逝った仲間たちとの再会。

彼はそこで、宿儺に全力を出し切れなかったことへの心残りを吐露しつつも、戦いそのものに「満足」したと語ります。

この「満足」という言葉をどう捉えるかは、意見が分かれるところでしょう。

ただ、俺には、彼が生まれて初めて「五条悟」という役割から解放され、ただの一個人に戻れた瞬間のように見えました。

最強として生まれ、最強であることを求められ、最強として生きてきた。

その重圧から解き放たれ、親友に「楽しかった」と笑いかける彼の姿は、悲しくも、どこか安らかでした。

彼は最強の呪術師としてではなく、一人の人間として、ようやく青春の続きを手に入れたのかもしれません。


結論:彼は「最強」で、そして「ただの人間」だった

五条悟は、単なる物語を動かすためのチートキャラではありません。

圧倒的な力と、その裏に隠された致命的なまでの人間性。

そのアンバランスな魅力こそが、我々を惹きつけてやまない理由なのです。

彼は最強の呪術師であり、同時に、親友を失った孤独な青年でもありました。

彼の夢は、虎杖悠仁をはじめとする教え子たちに引き継がれていくでしょう。

最強の男が遺した、あまりにも人間らしい願いと共に。

さて、あなたは、五条悟の“最強”に何を見ましたか?

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