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クズか、それとも被害者か?『鬼滅の刃』獪岳の“承認欲求モンスター”っぷりを徹底解剖する

鬼滅の刃
クズか、それとも被害者か?『鬼滅の刃』獪岳の“承認欲求モンスター”っぷりを徹底解剖する

『鬼滅の刃』で最も救いようのない「クズ」は誰か?

この問いに、多くのファンが彼の名を挙げるだろう。

我妻善逸の兄弟子でありながら鬼に堕ち、師を死に追いやった男、獪岳

彼の所業を並べれば、確かに擁護の余地はないように思える。

だが、ちょっと待ってほしい。

本当に彼は、ただそれだけの男だったのだろうか?

俺は思うんだ。彼のどうしようもないクズっぷりの裏側には、現代を生きる俺たちにも通じる、痛々しいほどの“人間臭さ”が隠されている、と。

今回は、この作中屈指の嫌われ者、獪岳の魅力を、あえて分析しながら語っていきたい。

“桃先輩”から“上弦の陸”へ ― 絶望のビフォーアフター

ネット民に愛された(?)不穏な兄弟子

獪岳が初めて我々の前に姿を現したのは、善逸の回想シーンだった。

修行から逃げ出す善逸に桃を投げつけ、罵声を浴びせる。

この時点では名前も明かされず、その印象的な行動からネットでは親しみを込めて(?)「桃先輩」なんて呼ばれていたんだよな。

努力家で、師である慈悟郎を心から尊敬している。

その真面目さゆえに、ヘタレな善逸が許せない。

まあ、言い方は最悪だが、彼の言い分にも一理あるか…と、この時はまだ思えた。

だが、この「桃先輩」が、後に最悪の形で善逸と再会することになる。

「久し振りだなァ、善逸」― 最悪の再会

無限城で、善逸の前に現れた獪岳。

その姿は、かつての兄弟子の面影を残しながらも、禍々しく変貌していた。

顔に浮かぶ黒い痣、尖った耳、そして何より、その両目に刻まれた文字。

「上弦」「陸」

鬼殺隊士が、鬼殺隊最強の敵である十二鬼月、それも上弦に成り果てていた。

この絶望的な展開は、多くの読者の心を叩き折るには十分すぎるインパクトだった。

獪岳を蝕んだ“心の穴” ― 破滅へと至る歪みの正体

なぜ彼は鬼になったのか?その答えは、彼の根深いコンプレックスと、底なしの承認欲求にある。

「俺を正しく評価する者が善」― 究極の自己肯定モンスター

「俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない」

「俺を正しく評価し認めるものは善 低く評価し認めない者が悪だ」

このセリフに、獪岳のすべてが詰まっていると言っても過言ではない。

彼にとっての世界は、すべて「俺」が基準。

自分を認めてくれるなら味方、そうでなければ敵。あまりにもシンプルで、あまりにも傲慢な価値観だ。

この歪みを決定的にしたのが、弟弟子・善逸の存在だった。

雷の呼吸の基本にして極意である「壱ノ型」だけが使えない自分。

逆に、「壱ノ型」しか使えない善逸。

師・慈悟郎が二人を「共同の後継者」にしようとしたこと、これが獪岳のプライドをズタズタにした。

自分より劣っているはずの善逸と同列に扱われる屈辱。それはやがて「師は善逸を贔屓している」という、とんでもない被害妄想へと発展していく。

善逸が言った「心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてる」という言葉は、まさに的を射ていたんだ。

悲鳴嶼行冥との因縁 ― すべての始まり

彼の「自分さえ良ければいい」というスタンスは、今に始まったことじゃない。

物語を遡ると、彼の原点はあの岩柱・悲鳴嶼行冥の悲しい過去にあったことがわかる。

かつて悲鳴嶼が寺で育てていた孤児の一人、それが幼い獪岳だった。

寺の金を盗んだことを咎められ追い出された夜、鬼に遭遇した彼は、自らの命と引き換えに、悲鳴嶼と他の子供たちを鬼に売った。

このエピソードは衝撃的だが、彼の行動原理が一貫していることを示している。

「自分が死ぬか、他の誰かが死ぬか」という究極の選択を迫られたとき、彼は常に後者を選んできたんだ。

彼は本当に“加害者”でしかなかったのか?

ここまで見ると、獪岳は生まれついての自己中なクズ野郎に思える。

だが、彼の人生を振り返ると、同情の余地がないわけでもない。

彼の人生には、二度の決定的な「不運」があった。

  1. 幼い頃、追い出された先で“鬼”に遭遇してしまったこと。
  2. 鬼殺隊士として任務中、最強の上弦である“黒死牟”に遭遇してしまったこと。

どちらも、常人なら絶望して思考停止するレベルの災難だ。

特に黒死牟との遭遇は、柱でもない一介の隊士にとっては、死刑宣告に等しい。

その絶望的な状況で命乞いをし、鬼になる道を選んでしまった彼の弱さを、俺たちは一方的に責められるだろうか?

鬼殺隊という組織が、そもそも「己の命を顧みず、他人のために死ねる」という異常者の集団だ。

良くも悪くも“普通の感性”しか持てなかった獪岳にとって、鬼殺隊はあまりにも過酷な職場だったのかもしれない。

もちろん、だからといって彼の裏切りが許されるわけじゃない。

師を裏切り、仲間を裏切った事実は消えない。

彼の真の過ちは、愈史郎が看破した通りだ。

「人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる」

「独りで死ぬのは惨めだな」

慈悟郎の愛も、善逸の尊敬も、彼は最後まで受け取ろうとしなかった。

与えられることを渇望しながら、与えられるものを頑なに拒み続けた。

その矛盾こそが、彼を孤独な破滅へと導いたんだろう。

なぜ俺たちは、この“クズ”から目が離せないのか

獪岳の最期は、実に惨めだった。

散々見下してきた善逸が編み出した、自分にはない「漆ノ型」によって頸を斬られる。

死の間際にすら誰にも看取られず、独りで消えていく。

まさに自業自得。そう言って切り捨てるのは簡単だ。

だが、俺たちが獪岳というキャラクターに奇妙なほど惹きつけられるのはなぜだろうか。

それはきっと、彼の抱える弱さや醜さが、俺たち自身の心の中にも存在する、普遍的なものだからじゃないだろうか。

「誰かに認められたい」「特別な存在でありたい」という渇望。

他人を妬み、自分より劣っている(と信じたい)相手を見下すことで、かろうじて自尊心を保とうとする心の弱さ。

一歩間違えれば、誰もが“獪岳”になりうる。

彼は『鬼滅の刃』という物語において、人間の最もどす黒く、しかし最も人間らしい部分を体現した、最高の“悪役”だった。

彼の存在があったからこそ、善逸の成長はより輝きを増した。

単なるクズでは終わらない、複雑で、哀れで、どこか共感すら覚えてしまう。

それこそが、獪岳というキャラクターが持つ、抗いがたい魅力の正体なんだと俺は思う。

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