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乙骨憂太はなぜ「最強」なのか?――純愛と狂気が生んだ“もう一人の主人公”の魅力

呪術廻戦
乙骨憂太はなぜ「最強」なのか?――純愛と狂気が生んだ“もう一人の主人公”の魅力

『劇場版 呪術廻戦 0』を観て、気づいたら乙骨憂太という沼の底に沈んでいた。

そんな経験、あなたにもありませんか?

最初は気弱で、頼りなくて、「大丈夫かこの子…?」と完全に保護者目線で見ていたはずが、物語の終わりには、その底知れない強さと歪な愛の形に、心臓を鷲掴みにされていました。

本編への再登場で、その人気とヤバさはさらに加速。

今回は、そんな『呪術廻戦』の“もう一人の主人公”、乙骨憂太の魅力について、俺なりの視点で少しばかり深掘りしていこうと思います。

第1章:共感の怪物――僕らが乙骨憂太に惹かれた原点

「僕なんて生きてちゃいけない」から始まった物語

今でこそ最強術師の一角ですが、乙骨憂太の原点は、徹底的な自己肯定感の低さでした。

壮絶ないじめ、そして最愛の幼馴染である祈本里香を「呪い」として側に置いてしまうという、あまりにも重い罪悪感。

彼のスタート地点は、決して光り輝くヒーローのそれではありません。むしろ、人知れず苦悩を抱える、どこにでもいる(かもしれない)少年だったわけです。

このどうしようもない「弱さ」から始まる物語だからこそ、俺たちは彼の成長の一挙手一投足に、知らず知らずのうちに感情移入させられていたのではないでしょうか。

「わかるよ…」とは軽々しく言えないけれど、その痛みに寄り添いたくなる。そんな不思議な引力が、初期の彼にはありました。

「失礼だな 純愛だよ」――歪で、あまりにも美しい愛の形

そして、乙骨憂太を語る上で絶対に欠かせないのが、特級過呪怨霊「祈本里香」の存在です。

彼女は乙骨にとって、拭いきれない呪いであり、規格外の力であり、そして何よりも「愛」そのものでした。

夏油傑との最終決戦で放った、あの伝説のセリフを思い出してください。

「失礼だな 純愛だよ

常人から見れば、死んだ少女を怨霊として使役する関係性は、異様で、グロテスクに映るかもしれない。

しかし彼は、その関係を一点の曇りもない眼で「純愛」だと断言するのです。

この歪でありながらも、どこまでもピュアな愛の形こそが、乙骨憂太というキャラクターの核を成していると言えるでしょう。

彼の強さは、全てこの「純愛」を守るためにあった。そう考えると、彼の行動原理は驚くほどシンプルで、だからこそ、心に深く突き刺さるのです。

第2章:再登場の衝撃――「気弱な少年」から「底知れぬ強者」へ

誰だお前!? 爽やかイケメン化と隠しきれない“格”の違い

『呪術廻戦0』のラストで、里香ちゃんを解呪し、海外へ渡った乙骨。

本編で彼が再登場した時の衝撃は、今でも忘れられません。

あの気弱で猫背だった面影はどこへやら。そこにいたのは、物腰柔らかで、どこか飄々とした雰囲気さえ漂わせる爽やかイケメンではありませんか。

正直、初見の時は「え、誰!?」「作画コスト上がってない!?」と混乱した読者も多いはずです。

しかし、本当に恐ろしいのはその内面。柔和な態度の裏に隠された実力は、もはや「人外魔境」の域。

五条悟が「僕に次ぐ術師になる」と認めた才能は、一年という短い期間で完全に開花し、圧倒的な“格”の違いを見せつけました。

この完璧すぎるギャップに、堕ちないオタクがいるでしょうか?いや、いない(反語)。

チートすぎる術式「模倣」と“蛇口がぶっ壊れた”呪力量

成長した乙骨のヤバさは、なんといってもその戦闘スタイルに集約されています。

日本に四人しかいない特級術師の一人。その根幹を成すのが、「底なしの呪力」「術式の模倣(コピー)」です。

彼の呪力量は、あの現代最強の術師・五条悟をも上回るとされています。もはや概念。呪力の蛇口がぶっ壊れて垂れ流し状態、とでも言うべきでしょうか。

そして、もっとヤバいのが「模倣」の能力。

完全顕現した「里香」を介することで、他者の術式をストックし、自在に使うことができる。詳細は未だ謎に包まれていますが、これ、対戦ゲームで言えば相手の必殺技を一度見ただけで自分のものにするようなもの。

はっきり言って、ゲームバランス崩壊待ったなしのチート能力です。

しかも、本人はそれを鼻にかけることなく、淡々と、しかし確実に相手を詰めていく。このクレバーさも相まって、彼の戦闘には一種の絶望感すら漂います。

第3章:乙骨憂太の本質――優しさの皮を被った「狂気」

「キレたら一番ヤバい奴」という学園モノの法則

普段は温厚で、仲間思いで、後輩の面倒見もいい。非の打ち所がない好青年。

しかし、乙骨憂太というキャラクターの真の恐ろしさは、その分厚い優しさの皮を一枚剥いだ先にあります。

彼は、仲間が、友人が、大切な人が傷つけられた時、躊躇なく「殺す」という選択肢を取れる人間なのです。

虎杖悠仁の死刑執行人として登場した際、彼は冷酷に虎杖の心臓を貫きました。

もちろん、それは虎杖を救うための、上層部を欺くための芝居だったわけですが…。あの時の彼の瞳には、一切の躊躇いがありませんでした。

目的のためなら手段を選ばない。最も効率的で、最も確実な方法を、たとえそれが非情なものであっても冷静に実行できる。

この冷徹な判断力と、それを可能にする圧倒的な実力こそが、彼の強さの根源なのかもしれません。

彼のトリガーは、いつだって「誰かのため」

ここで重要なのは、乙骨を突き動かす原動力が、常に「自分のため」ではなく「誰かのため」であるという点です。

かつては里香への「純愛」。そして今は、高専でできた仲間たちへの「友情」や「信頼」。

「僕の大事な人たちを傷つけるな」

この極めてシンプルで、純粋な怒りこそが、彼を最強の怪物へと変貌させる唯一のトリガーなのです。

彼の優しさは、いわばダムのようなもの。普段は穏やかな湖面を保っていますが、ひとたび大切なものが危機に瀕すれば、そのダムは決壊し、全てを飲み込む濁流となって敵を殲滅する。

この自己犠牲的とも言える在り方は、ヒーローとして非常に魅力的であると同時に、どこか危うさも孕んでいます。

もし彼が、守るべきものを全て失ってしまったら、一体どうなってしまうのか…。そんなIFを想像すると、少しだけ背筋が寒くなるのは、俺だけでしょうか。

結び:なぜ僕らは、乙骨憂太から目が離せないのか

弱さを知っているからこそ、誰よりも優しくなれる。

そして、守るべきもののために、誰よりも冷酷で、残酷になれる。

この強烈な二面性と、純愛という一本筋の通った行動原理。このアンバランスな魅力こそが、乙骨憂太というキャラクターの神髄なのではないでしょうか。

虎杖悠仁が、多くの人間に囲まれて「正しい死」を目指す「陽」の主人公だとするならば、乙骨憂太は、たった一人の少女への愛から始まり、仲間との絆を力に変える「陰」を抱えたもう一人の主人公。

これから先、彼はこの過酷な物語にどう関わっていくのか。

果たして、彼が師である五条悟を超える日は来るのか。

考察は尽きませんが、一つだけ確かなことがあります。それは、俺たちはこれからも、この純愛の怪物から目が離せない、ということです。

この記事を読んだあなたの意見も、ぜひどこかで聞かせてください。

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