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広告でトラウマになった人、集合。『食糧人類』がただの胸糞漫画で終わらない理由

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広告でトラウマになった人、集合。『食糧人類』がただの胸糞漫画で終わらない理由

ネットの海を漂っていると、時々どうしようもなく不快で、それでいて目が離せない広告に出会うことがあります。

中でも『食糧人類-Starving Anonymous-』の広告は、多くの人の脳にトラウマを刻み込んだんじゃないでしょうか。

「人間が家畜になる」っていう、字面だけで胃がキリキリするような設定。

正直、「またインパクトだけの出オチ漫画か」と思った人も多いはずです。俺もそうでした。

でも、この作品、累計315万部を突破するほどの「問題作」としての地位を確立しています。

今回は、なぜ『食糧人類』が単なるグロ漫画として消費されず、俺たちに強烈な読後感…いや、絶望感を叩きつけてくるのか、その本質に迫っていこうと思います。

「胸糞悪いけど、なぜか最後まで読んじまった」というあなた。その感覚、間違ってません。

地獄の始まりは一台のバスから。食物連鎖がひっくり返る世界

物語は、高校生の伊江とカズが、学校帰りのバスで催眠ガスを嗅がされるというとんでもない場面から始まります。

彼らが目を覚ました場所は、通称「ゆりかご」。

そこは、人間を「食糧」として養殖し、謎の巨大生物「天人」に捧げるための、巨大な人間牧場でした。

この漫画の核心は、「食物連鎖の完全な逆転」という、シンプルかつ最悪なコンセプトにあります。

俺たちが普段、当たり前のように牛や豚に行っていることが、そっくりそのまま人間に返ってくる地獄。

施設では人間がランク付けされ、子を産むための「生殖種」にされたり、薬漬けで太らされたり…。

そして最後は、工業製品みたいに解体されて出荷される。

この徹底したシステム化された残酷さが、ただの内臓ブチまけ系のグロとは一線を画す、構造的な恐怖を生み出しているんです。

しかも、この地獄を作り出したのは、なんと政府と宇宙人の密約。

地球温暖化を解決してもらう代わりに、国民の一部を食糧として差し出す…。

この胸糞悪い設定、現実の政治スキャンダルとか見てると、あながちフィクションとも言い切れない怖さがあるんだよな。

ネットじゃ賛否両論!「神作」か「時間の無駄」か

これだけ尖った作品ですから、ネットでの評価も真っ二つに割れています。

特に、なんJや2ch(現5ch)といった匿名掲示板では、それはもう激しいレスバトルが繰り広げられていました。

なんJ・2chを二分したレスバトル

肯定的な意見としては、

「普通に面白いじゃねーか、叩かれまくる程じゃないわ」
「300人粛清のシーンとか震えたわ」
「グロいけど続きが気になって一気に読んじまう」

といった、作品の中毒性を評価する声が結構あります。

一方で、辛辣な批判も半端じゃありません。

「時間返して欲しいわ。中身空っぽのウンコ」
「典型的な出落ち漫画。風呂敷広げただけ」
「GANTZに影響されてそうだけど足元にも及んでない」

まあ、この辺の罵詈雑言は、なんJの様式美みたいなもんですが。

特に多かったのが、主人公・伊江へのヘイト

「今まで読んだ漫画で一番無能な主人公」「こいつのせいで何人死んだんだよ」など、散々な言われようです。

でも、この「無能さ」こそが、読者をイライラさせつつも引き込む、巧妙な仕掛けだったのかもしれません。

Twitterはトラウマ報告会の会場

Twitter(現X)に目を向けると、ファンからの熱い感想と共に、阿鼻叫喚のトラウマ体験談が溢れています。

「山引&ナツネくんコンビが好きすぎる」「伊江は最後まで良いヤツだった」という愛のあるツイートの一方で、

「マジでトラウマになるから読む人は選んだ方がいい」「しばらく肉が食えなくなった」といった警告も後を絶ちません。

特に具体名が挙がってバズっていたトラウマシーンといえば、

  • 教授の娘が猿に改造されるシーン
  • おびただしい数の虫が出てくるシーン

この二つは鉄板ですね…。特に教授の娘の件は、倫理観が完全に崩壊していて、読んだ後しばらく虚無になりました。

「あれはキツかった」と共感しあうことで、読者は一種の連帯感を得ていたのかもしれません。

ただグロいだけじゃない。「本当の怖さ」はシステムにある

『食糧人類』が他のパニックホラーと一線を画すのは、その恐怖が「構造的」である点です。

グロテスクな描写はもちろん強烈ですが、本当に背筋が凍るのは、その背景にある「仕組み」の方なんです。

日常に潜む「悪の凡庸さ」

この人間牧場で働く職員たちは、別にサイコパスの殺人鬼集団というわけではありません。

彼らは、人間を解体する作業を「仕事」として淡々とこなしています。

そこには何の感情もなく、ただ効率だけが求められる。

この「慣れ」こそが、本作の最も恐ろしい部分かもしれません。

哲学者のハンナ・アーレントは、ナチスの高官アイヒマンを見て「悪は凡庸である」と言いました。

つまり、巨大な悪とは、思考停止した普通の人々が、組織の歯車として動くことで生まれる、と。

『食糧人類』の職員たちの姿は、まさにその「悪の凡庸さ」を体現していて、俺たちの日常と地続きな恐怖を感じさせます。

これは現代社会の風刺画か?

施設内での人間へのランク付け(Ⅰ型・Ⅱ型)や、「扱いづらい者」が排除されていくシステム。

これって、現代社会のスクールカーストや、会社での序列、容赦ないリストラと何が違うんでしょうか。

さらに続編の『食糧人類Re:』では、天人に身を捧げることが「最高の名誉」とされる、完全に洗脳された社会が描かれます。

自ら進んで食糧になることを「幸福」だと信じ込まされている人々。

これは、権力者による巧妙な思想統制や価値観の操作がいかに恐ろしいかを、極端な形で描き出しています。

単なるフィクションとして笑い飛ばせない、現代社会への痛烈な皮肉が込められているんです。

「パクリじゃん」論争に終止符を。『約ネバ』『進撃』との決定的違い

「人間が飼育されて…」と聞くと、多くの人が『約束のネバーランド』を思い浮かべるでしょう。

また、「巨大生物に人間が捕食される」という構図から『進撃の巨人』を連想する人も少なくありません。

ネットでは「パクリだ」なんて声も散見されますが、果たして本当にそうでしょうか?

俺は、これらは似て非なるものだと考えています。

『約ネバ』は、どんな絶望的な状況でも希望を捨てない少年ジャンプ的な冒険活劇です。

エマやノーマンといった天才たちが、知恵と勇気で運命を切り開いていきます。

一方、『食糧人類』はどこまでも陰惨で、救いがありません。

言うなれば、『約ネバ』が少年ジャンプなら、『食糧人類』はヤングマガジンの深夜枠。目指す方向性が全く違うんです。

『進撃の巨人』との違いはもっと明確です。

『進撃』は、人類が立体機動装置という武器で巨人に「対抗」できる物語。壮大な歴史と謎が絡み合う叙事詩です。

しかし『食糧人類』には、人間が宇宙人に対抗する術はほとんどありません。あるのは圧倒的な絶望と、閉鎖空間でのサバイバルだけ。

『食糧人類』の独自性は、「畜産業」という俺たちの日常に根差した行為を反転させて、倫理観を直接揺さぶってくる点にあるのです。

なぜ、俺たちはこの地獄を読み続けてしまうのか

ここまで語ってきたように、この漫画は精神的にかなりキツい作品です。

にもかかわらず、「一度読み始めたら止まらない」という声が非常に多い。

この中毒性の秘密は、恐怖と好奇心の絶妙なバランスにあるんじゃないでしょうか。

「この施設の目的は何なのか?」「宇宙人の正体は?」「誰が裏切り者なんだ?」

次々と提示される謎が、俺たちの知的好奇心を刺激してページをめくらせる。

そして、山引やナツネといった、絶望的な状況だからこそ輝きを放つ魅力的な(あるいは狂った)キャラクターたちの存在も大きい。

彼らがどうなるのか、その行く末を見届けたいという気持ちが、グロテスクな描写への耐性を上回ってしまうんです。

結局、『食糧人類』はただ不快なだけの漫画ではありません。

それは、俺たちが普段、目を背けている「食」という行為の裏側、社会システムの非情さ、そして人間の脆さと強さを突きつけてくる、劇薬のような物語です。

好き嫌いが激しく分かれるのは当然。万人にオススメできる作品では決してありません。

でも、もしあなたがこの地獄を最後まで読破したのなら、きっと明日からの「いただきます」の意味が、少しだけ変わって見えるはずです。

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