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「タッチは気持ち悪い」は本当か?浅倉南”魔性の女”説と、あだち充ワールドの”本当の闇”

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「タッチは気持ち悪い」は本当か?浅倉南”魔性の女”説と、あだち充ワールドの”本当の闇”

国民的名作『タッチ』。もはや古典、神話の領域ですよね。

夏の甲子園、汗と涙、そして浅倉南。完璧な青春のパッケージです。

…しかし、そんな『タッチ』に、今「気持ち悪い」という声が上がっているらしい。そんな噂を耳にしました。

「またかよ、ポリコレ棒で昭和の名作を殴るやつか」って? 俺も最初はそう思ったんです。

でも、この件、深く掘ってみると、単なる懐古主義 VS 現代の正義、みたいな単純な話じゃなかった。

むしろ、40年の時を経て、俺たちが無意識にスルーしてきた”何か”が浮かび上がる、めちゃくちゃ面白い現象だったんですよ。

真犯人は「タッチ」じゃない?すべてのヘイトを集める女、浅倉南

まず驚くべき事実からお伝えします。

「タッチ 気持ち悪い」で検索しても、実はそこまで大きな声にはなっていないんです。

じゃあ、一体何が「気持ち悪い」と言われているのか。その矛先を追っていくと、一人の少女にたどり着きます。

そう、浅倉南です。

ネットの海で渦巻いているのは、「タッチ 気持ち悪い」ではなく、「浅倉南 嫌い」「浅倉南 あざとい」という、彼女個人への強烈な感情でした。

いや、わかる。めちゃくちゃわかりますよ。

俺も子供の頃は「南ちゃん可愛い!」しか思ってなかったけど、今見返すと色々と思うところがある。

  • 「タッちゃんとカッちゃん、どっちが好き?」って聞かれて、はぐらかすあの感じ。
  • 双子の心を巧みに揺さぶり、絶妙な距離感で手玉に取る手腕。
  • 「南を甲子園に連れてって」という、冷静に考えると超ド級の他力本願。

これ、令和のラブコメだったら「悪役令嬢ムーブ」って言われても文句言えないレベルですよね。

あるネットの批評エッセイでは、南のことを「恐ろしい子」と評し、その人心掌握術を「政治的能力」「外交判断」とまで分析していました。

もはや恋愛の駆け引きじゃなくて、国家間の諜報活動なんですよ。

一方で、達也が南の部屋を覗くシーンとか、今なら問題になりそうなセクハラ描写への直接的な批判は、意外なほど見つかりませんでした。

どうやら、視聴者の違和感は「倫理的な問題」よりも、浅倉南という女の「人間性」に集中している。これは非常に興味深い点じゃないでしょうか。

本題はここからだ。あだち充ワールドの”本当の闇”

さて、浅倉南の「あざとさ」でザワついているうちは、まだ平和だったのかもしれません。

実は、あだち充作品という広大なユニバースに目を向けると、もっとこう…業の深い問題が横たわっているんです。

特にヤバいと再評価(?)されているのが、『タッチ』以前のヒット作、『みゆき』です。

読んだことありますか? この作品、今の価値観で見ると、正直言って眩暈がします。

10代女性への描写や成人男性からの扱われ方にものすごく違和感

これは、2020年代に『みゆき』を再読した人のリアルな感想です。

具体的に何がヤバいのかというと…

  1. 教師が生徒にガチで迫る: 主人公が通う中学校の教師が、ヒロインにセクハラを繰り返す。今なら懲戒免職どころか、ニュースのトップを飾る大事件です。
  2. 警官が女子中学生をストーキング: しかも下着泥棒までやらかす。日本の治安、どうなってんだ。
  3. 血のつながらない兄妹という禁断の設定: これ自体は創作の自由ですが、それをかなり扇情的に描いている。あだち先生、この設定好きすぎません?

コンプライアンスという概念が、まだ宇宙の彼方にあった時代だから許された奇跡の作品。それが『みゆき』です。

『タッチ』の覗きが可愛く見えるレベルの描写が、そこにはありました。

つまり、「タッチが気持ち悪い」という現象の深層には、あだち充作品全般に共通する、現代の倫理観とは相容れないフェティシズムへの違和感が、マグマのように溜まっていたんじゃないか。俺はそう考えています。

なぜ当時は「神アニメ」だったのか? “昭和”という異世界を理解する

じゃあ、なんでこんな作品が、当時は国民的な支持を得たのか。

それは、俺たちが生きる令和と、1980年代の「昭和」が、もはやパラレルワールドと言っていいほど価値観の違う世界だったからです。

1980年代って、どんな時代だったか。

  • セクハラという言葉すらない。
  • 男女雇用機会均等法がようやく制定される過渡期。
  • 「男は仕事、女は家庭」がまだまだ当たり前。

そんな時代に、浅倉南というヒロインは、実はめちゃくちゃ画期的だったんです。

それまでの少年漫画のヒロインって、主人公を応援するだけの「紅一点」のマスコット的存在が多かった。

でも南は違う。彼女は「甲子園」という明確な目標を提示し、主人公である達也を動かす原動力になった。

ヒロインが主人公の動機になる。

今では当たり前のこのラブコメのフォーマットを、少年漫画に本格導入したのが『タッチ』であり、浅倉南だったんです。

彼女の描き方には、確かに時代の限界が見える。でも、表現としてはものすごく革新的だった。この二面性を理解することが、たぶん大事なんですよね。

今のZ世代の6割以上が「男らしさ」「女らしさ」の強要に違和感を覚えるそうです。

俺たちが当たり前に享受している「対等な関係性」や「ジェンダーの多様性」は、こういう昭和の価値観の屍の上に成り立っているのかもしれない…なんて思うと、少し感慨深いものがあります。

結論:「気持ち悪い」の一言で終わらせるのは、あまりにもったいない

ここまで見てきたように、「タッチ 気持ち悪い」という現象は、単なる作品叩きではありません。

40年という時間の中で、俺たちの社会や倫理観がどれだけ変化したのかを映し出す、巨大な鏡なんです。

古い作品を現代の価値観で断罪するのは、とても簡単です。でも、それって何も生み出さない。

本当に面白いのは、「うわ、この描写、今見るとキッツいな…」と感じる、その”違和感”の正体を探ることじゃないでしょうか。

なぜキツいと感じるのか? 昔はなぜ許されたのか? その差分にこそ、俺たちが学んできたこと、乗り越えてきたことの歴史が刻まれているはずです。

『タッチ』は、青春漫画の金字塔であると同時に、俺たちの社会の成長を記録した、貴重な文化的遺産でもある。

そう考えると、この作品は二度、三度と味わえる、最高の”肴”だと思いませんか?


まあ、それはそれとして、浅倉南があざといのは、時代を超えた事実だと思いますけどね。

あなたはどう思いますか?

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