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【悲報】デスノート第2部はなぜ“蛇足”なのか?L死亡後の絶望と「ジェバンニが一晩で」問題の根源を徹底解剖

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【悲報】デスノート第2部はなぜ“蛇足”なのか?L死亡後の絶望と「ジェバンニが一晩で」問題の根源を徹底解剖

なあ、デスノートの話をしようか。いや、月とLが繰り広げた、あの神がかった頭脳戦の話じゃない。俺たちリアルタイム世代の多くが「あれは蛇足だった」「Lの死で終わるべきだった」と今もなお語り継ぐ、第2部(ニア・メロ編)の話だ。

第1部の熱狂とは裏腹に、なぜか冷めた目で見てしまったあの感覚。連載当時、毎週ジャンプを追いかけていた30代の同志なら、Lが死んだ後のあの虚無感を覚えているはずだ。あれは単なる思い出補正だったのか?いや、違う。

今回は、なぜデスノート第2部が「つまらない」と言われてしまうのか、その理由を感傷論で終わらせず、キャラクター設計、物語構造、そして頭脳戦の“質”という観点から、容赦なく解剖していく。この記事を読めば、君が当時抱いた違和感の正体が、はっきりと見えてくるはずだ。

もはや伝説の「ジェバンニが一晩で」問題という絶望

第2部へのあらゆる批判は、この一言に集約されると言っても過言ではない。もはやネットミームとして永遠に語り継がれるであろう、あの魔法の言葉。

「ジェバンニが一晩でやってくれました」

…いや、無理だろ!普通に考えて!

ニアの部下ジェバンニが、完璧に細工されたデスノートの複製を“たった一晩”で作り上げたこの展開。当時、緻密な頭脳戦に胸を躍らせていた読者全員が、テレビの前でズッコケた瞬間だった。5ちゃんねる(当時は2ちゃんねるか)や知恵袋では「ご都合主義の極み」「どんな超技術だよ」「それまでの頭脳戦はなんだったんだ」というツッコミの嵐。この一文が、作品の根幹であったはずのリアリティラインを木っ端微塵に破壊したんだ。

Amazonのレビューを見ても「最後は運とジェバンニのスーパーパワー」「頭脳戦とは一体…」という声が今もなお並んでいる。これは、『DEATH NOTE』という作品が築き上げてきた「論理性」への信頼が、公式の手によって裏切られた瞬間だった。俺たちが求めていたのは超人の力技じゃなく、ギリギリの知略の応酬だったはずだろ…。

Lは完璧すぎた。ニアとメロでは“代役”にすらなれなかった

第2部が失速した最大の原因は、結局のところLの不在に尽きる。だが、それは単に「人気キャラがいなくなったから」という単純な話じゃない。後継者であるニアとメロのキャラクター設計に、致命的な欠陥があったんだ。

変わり者だけど憎めない「L」という奇跡のバランス

まず、Lがいかに魅力的なキャラクターだったかを再確認しよう。彼は極度の変わり者で、社会不適合者寸前だ。でも、初対面の夜神総一郎たちに深々と頭を下げる礼儀正しさも持ち合わせている。常に冷静沈着かと思えば、月に感情をぶつける人間臭さもある。甘いもの好きというギャップもたまらない。

専門的な分析を引用するなら、Lは「複雑性、矛盾、人間性の絶妙なバランス」を持っていた。だからこそ、「人格は褒められたもんじゃないが、なんか好き」という、抗いがたい魅力があったんだ。自分の命を危険に晒してでも、月の前に「私がLです」と姿を現したあの衝撃。あれこそがLなんだよ。

読者に嫌われたニアの「致命的な設計ミス」

一方、その後継者ニアはどうだったか。ぶっちゃけ、多くの読者から嫌われていた。これには構造的な問題がある。

最も深刻だったのが、雑誌連載時の「ニヤニヤ表情」問題だ。単行本で修正されたから知らない世代もいるかもしれんが、連載当時のニアは、終始ニヤニヤと事態を面白がる“クソガキ”として描かれていた。読者からは「生意気」「見下してる感じがムカつく」と大不評。Lが命を懸けた戦いを、安全な場所からおもちゃで遊びながら高みの見物。そりゃ好かれるわけがない。

この批判を受けてか、単行本では表情が修正されたが、今度は「Lを崇拝し、キラを憎む少年」というキャラになり、連載時との人格の乖離が生まれてしまった。キャラクターとしての一貫性が失われ、余計に魅力が分かりにくくなったんだ。

ここだけの話、作者の小畑健先生は、当初ニアを今のメロのデザインで描くつもりだったらしい。だが、原作者の大場つぐみ先生に提出する際に名前を逆に書いてしまい、それがそのまま採用されたという。この偶然が、キャラクターとデザインの微妙な不一致を生んだ一因かもしれないな。

推理のレベルが違いすぎる…頭脳戦の“質的劣化”

『DEATH NOTE』の醍醐味は、なんといっても月とLによるハイレベルな頭脳戦だ。だが、第2部ではその質が明らかに低下したと言わざるを得ない。

神々の遊びだった「第1部」の知的格闘

第1部の何が凄かったか。それは、月とLが互いの正体を知らない状況で、限られた情報から相手を追い詰めていく純粋な推理合戦だ。Lが最初の犠牲者の死亡時刻からキラの所在地を「関東の学生」と絞り込むオープニング。デスノートのルールを逆手に取った月の記憶喪失作戦。息もつかせぬ攻防の連続に、俺たちは毎週夢中になった。「次はどうなるんだ!?」と本気で予想できない、真剣勝負がそこにはあった。

答え合わせをするだけだった「第2部」の“作業”

じゃあ、第2部のニアの推理はどうだったか?辛辣な言い方をすれば、「Lが遺した捜査資料の答え合わせ」に過ぎなかった。

ある分析では「ニアはLの功績を引き継いだだけ」と喝破されている。月=キラであること、デスノートが存在すること。これらは全てLが命と引き換えに掴んだ情報だ。例えるなら、「Lが途中式を完璧に書き上げた答案用紙を、最後の答えだけ書いた」のがニア。読者とほぼ同じ神の視点から「こうすれば勝てますよね?」とやっているようにしか見えず、そこに推理のスリルはなかった。

そして、その最後の答えすら、前述の「ジェバンニの超人的能力」という反則技に頼った。これでは、もはや頭脳戦として成立しているとは言えないだろう。

物語構造の転換と「引き延ばし」という名の失速

第2部がつまらないと感じるのには、もっと根本的な理由もある。物語の構造そのものが、第1部とは全くの別物に変わってしまったからだ。

サクセスストーリーから敗北ストーリーへの転換

原作者インタビューでも語られているが、第1部は「天才である月が、降りかかる難題をいかにしてクリアしていくか」という、ダークヒーローのサクセスストーリーだった。読者は月の悪事に眉をひそめつつも、その鮮やかな手腕にどこか爽快感を覚えていたはずだ。

しかし第2部は、「いかにして月を敗北させるか」という物語にシフトした。その結果、あれだけ慎重で大胆不敵だった月が、信じられないようなミスを連発する“無能化”が進んでしまった。魅上への不用意な接触、不用心な言動。俺たちが惚れたあの夜神月はどこへ行ったんだ、と。主人公の魅力が失われれば、物語が失速するのは当然の結果だ。

実際、連載当時のジャンプでの掲載順位も、平均5位だった第1部から、第2部では10位以下に低迷。読者の関心が薄れていたことは、数字がハッキリと証明している。『バクマン。』でも作中で言及されていたが、まさに「こういう漫画は引き延ばししたら絶対ダメになる」という典型例になってしまったんだ。

この失望は万国共通「海外でも評価は同じ」

「Lが死んでからつまらなくなった」というのは、日本のファンだけの感傷じゃない。驚くほどに、この評価は海外でも共通している。

大手レビューサイトIMDbやRedditを覗いてみると、「シリーズは“信じられないほど素晴らしい”から“信じられないほど平凡”に落ちた」「25話(Lの死亡回)で終わるべきだった」といった辛辣なコメントがずらりと並ぶ。

彼らの言葉はもっとストレートだ。「ニアはLの魅力を薄めただけ」「ニアにはLのようなカリスマ性や好感度が欠けている」。文化や言語の壁を越えて、L vs 月という完成された構図が失われたことへの失望感は、普遍的なものなんだとわかる。

それでも第2部を再評価する声もある

と、ここまで散々第2部をこき下ろしてきたが、俺は別に第2部が嫌いなわけじゃない。むしろ、好きだからこそ、その欠点が許せないんだ。

批判一色に見えるが、近年では第2部を再評価する声も増えている。確かに、キラ・ニア・メロによる三つ巴の組織戦・政治サスペンスとしての面白さは唯一無二だ。狂信的なまでにキラを崇拝する魅上照というキャラクターも、強烈なインパクトを残した。

また、有名な「松田説(ニアが魅上をデスノートで操っていた説)」のように、深読みすることで新たな面白さが見えてくることもある。アニメ版では原作の冗長な部分がカットされ、テンポが改善されたという評価もある。

一度「つまらない」というフィルターを外して読み返してみると、「あれ、意外と悪くないかも…?」と思える発見があるかもしれない。

結論:第2部の評価は“思い出補正”ではなく“構造的欠陥”による必然だった

結論を言おう。『DEATH NOTE』第2部への厳しい評価は、単なるノスタルジーや思い出補正なんかじゃない。それは、キャラクター、物語構造、頭脳戦の質、その全てにおける“構造的な劣化”に起因する、極めて論理的な帰結だったんだ。

あまりにも完璧すぎたLというアンチヒーローを、魅力に欠ける後継者で埋めようとしたこと。そして、「ジェバンニ」に象徴されるご都合主義で、作品が最も大切にしてきたはずの論理性を破壊してしまったこと。これが全てだ。

リアルタイムで読んでいた俺たちが抱いた「Lが死んでデスノートは終わった」という感覚は、決して間違いではなかった。ただ、こうも言えるかもしれない。第1部があまりにも完璧すぎたんだ。その完璧な傑作が生み出した巨大な影こそが、第2部の正体だったのではないだろうか。

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